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メンタルヘルス

死を選択するときの思考回路は?自殺を考えた経験について。なぜ思いとどまれたのか?

こんにちは、たまこです。ここ最近で同い年の方々が自ら命を絶っていることにとても悲しみを感じています。自殺について何かを言及したいわけではありませんし、きれいごとを言うつもりもありません。

ただ私は25歳くらいのとき鬱や摂食障害で「もういつ死んでもいいな」と思っていて、自殺の仕方をいろいろ調べるほど思い悩んでいる時がありました。こうして今生きていることや、思いとどまれたのはなぜかという経験について、今一度振り返ってみようと思いました。

個人の経験なので、誰かの役に立つわけではありませんが、もし、生きる価値がない、自分は生きていてもしょうがないと思っている方に共有できたらいいなと思いまとめました。

自殺を考えるようになった経緯

心理学私が25歳くらいの時、私は美容部員をしていました。憧れていた会社に入社し、毎日人をきれいにして幸せにしたいという思いで入社し、一生懸命働いていました。しかし、いろいろ化粧品について学んでいくと、本当にきれいになれる化粧品がないということを知りました。

何ならデパートの高額で売られている商品の数々は肌に有害なものばかり。こんなものを売る気になれないと思い、美容部員をやめました。しかし、会社を辞めた私は、避難の嵐。

同期はもちろん、友人はそこのメーカーの化粧品を好んで使ってくれてただけあって、私は「化粧品がやばいから正しい知識を伝えたくてやめた」ということがうまく伝えらなかったのと、2度目の転職ということもあり、「また仕事辞めたの?」というようにくず扱いをするような眼差しでした。

私は純粋に人がきれいになる仕事がしたかったので、退職したことで避難されることは承知の上、あまり気に留めなかったのですが、「友達だと思っていた存在は、友達ではなかった。」ということがわかり、「人付き合いもよく考えてほどほどにしていこう」と25歳くらいで思いました。

自分が正しいと思っていた。人を幸せにしたかった。

今までの自らの信用のなさや、人からの評価を挽回していこうと、人に尊敬されるレベルになったら良いと思い、正しい化粧品の知識や心理学について本を読み漁るようになりました。

本来は美容で人を幸せにしたい思っていたはずなのに、当時頭でっかちだった私は、化粧品に対して理論や正しさを主張することに必死で、相手が使っている製品について内容成分のやばさや、それを使ってると肌が悪くなるといった話ばかりしていました。

そうなると、せっかく楽しいひと時を過ごすはずだったのに、否定的な内容ばかりされると、人はわずらわしさを覚えますよね。人間関係はギスギスするようになり、その時点で自分を変えればよかったものの、私は理解してくれない相手は排除するようになり、どんどん孤独になっていきました。

当時の私の心境

心理学

  • 人は私のことを理解してくれない
  • みんな私の敵
  • 応援しているといわれても、結局上辺だけ
  • 私は正しいことを伝えているから正義だ
  • 私の頭がおかしいのかな

今では自分を顧みることができるので、私が相手を理解していないから理解されないということがわかるのですが、当時は、周りは敵ばかりと思い、いつも人と関わるときは戦闘態勢でした。いつもピリピリしているので、自分自身もどんどん疲弊していきました。

やがて人と関わるのも億劫になり、仕事もまともに行くことができない状態なので、水商売でその日暮らしをし、日中は引きこもるようになります。

生活リズムが狂ったり、まともに食事をしないでいると、ネガティブな感情ばかり湧くので、一人で家にいると「私が間違ってるのかな」「私が頭おかしいのかな」「私は生きていないほうがいいのかな」と、どんどん思考が悪化して、自分の存在価値を見失っていきました。

人は心の穴を埋めようとする

心理学人と関わるのが億劫になりつつも、孤独感から、心の穴を埋めるかのように、過食と恋愛に依存するようになります。愛されたい、必要とされたいという思いでいっぱいで、やたら自分磨きや、自己啓発に打ち込みました。お金も心を満たすために浪費するので、水商売で月100万くらい稼いでいたのに、借金が300万ありました。

そんなに学んでも、磨いても思考はネガティブになるばかり。「私は生きてても意味がないし、愛されない人間なんだ・・・。」と泥沼でもがき苦しむ日々が続きました。

そんな生活が2年続き、気づけば27歳に。周りは出世したり、結婚したりしていくので、自分の人生について日々考えます。私の思い描いていた人生とは果てしなく遠く、私は何で生まれてきたんだろうと生きる意味を考えていました。

生きる意味を探す傍ら、当時は生きている意味が本当に分からなくなり、家に一人でいると、ふと死が頭をよぎるようになりました。死ぬ気はなかったのですが、自殺の仕方を調べたり、家のものを整理したり、駅のホームに立つと、気を抜くと本当に飛んでしまいそうで、まるでもう一人の自分が私のことを殺そうとしているのではないかと思うほどでした。

死を選択する思考回路

  • 生きている意味がない
  • 誰にも必要とされていない
  • 自分の存在価値を知らしめたい
  • 自分を苦しめた相手に仕返しをしたい、心の底から後悔、反省、改心させたい
  • 愛を確かめたい、腹いせ、私の苦しみをわからせたい

いじめや誹謗中傷、モラハラ、マウントを受けていると、自分の存在価値がない、生きる意味がないと感じ、死んでしまおうという思考回路になりやすいかと思います。しかし苦しみから逃れるためだけに死を選ぶという選択以外にも、生きた証を残したいとか、いやがらせする相手に仕返しをしたい、言葉で伝えきれない苦しい思いや、反発心を死で知らしめようとすることも考えられるかなと思いました。

私が苦しい扱いを受けていたとき、「私がこの人たちのことを遺書に書いて死んだら、この人たちの心に何か心に爪痕を残せるのかな。この人たちは自分のしていることを省みたり、反省をするのかな」など、そんなことを考えていました。

また、親や恋人にないがしろにされたときなどは「腹いせで死んだら私の大切さをわかってくれるのかな、私が苦しんだ分あなたたちも苦しむのかな」などと考えたり、とにかく愛されたい、理解されたい、大切にされたいといったそんな気持ちを何とか表現したいとも思っていました。

今考えると、とっても歪んでいますよね。

自殺を思いとどまった理由は?

心理学私が自殺を思いとどまった理由は2つあります。

①「真面目過ぎる」という言葉が心に響き、思考が変わった。

②残った借金で親や借入先に迷惑がかかると思い、迷惑が掛からない状態にしてからにしないといけないと考えた。

とどまった理由が謎ですよね。普通なら生きがいが見つかったとか、何かに救われたという理由が多いと思うんですけど、私は変に真面目で、人に迷惑をかけてはいけないというタイプだったので、死ぬにも準備をしないといけないと考えたんです。

何かを始めるには資格を取ってから、まずは形からみたいなタイプですよね。昔から世間体も気にするタイプだったので、死んだとき、借金やらなんやら出てきたら、家族に迷惑がかかるし、お金の管理もできないだらしない女では、カッコ悪いなと思い、死ぬ前に、まず借金を返して、とりあえず人に迷惑をかけない状態までもっていって・・・と段取りを組み始めたんです。

何の価値もない私が死んだところで、誰も悲しまないと思っていた一方で、死のうとするたびに「私が死んだらこの借金で人に迷惑がかかる。だからこの借金を返さないと自殺できない」と毎回踏みとどまっていたのを思い出しました。どこまで世間体を気にしていて、変なとこで真面目発揮して、馬鹿すぎますよね。

やはり無意識では生きたいと思っていて、生きるために借金をしていたのかなと思います。

真面目な人は、真面目過ぎることに気づいていない

心理学水商売は生活のためにつなぎ程度でやってるつもりだったんですけど、結果が出ないことに対してもすごく悩んでいたんです。当時水商売は世間的によくないと偏見を持っていたため、まさか自分が水商売で働くとも思っていませんでしたし、ここでもうまくいかない私は本当に何をしてもダメなんだとさらに自分を追い詰めていました。

(当時水商売に偏見を持っていただけで、今は思っていません。むしろ水商売経験が私を救ってくれたので、感謝してるほどなので、水商売の方を否定しているわけではありません。)

深い関係の人には相談ができなかったので、接客をしているときに、なんとなく当たり障りないスタッフに、悩みを打ち明けたことがありました。

その時に言われた言葉である意味人生が変わったなと思うのですが、「真面目過ぎるんだよー!接客なんて適当に生きたらいいよー!」とを言われました。

もちろん接客を適当にするのはよくないです。でもこの時の私は「私が真面目???」という部分に大きく驚きを感じたのです。なぜなら、私は自分のことを不真面目でダメ人間だと思っていたからです。

もっとまじめに、しっかり働いて、会社に評価されて、たくさん稼いで、世間に認められて、親に仕送りして・・・etc... 世の中の役に立って世間に認められていないと真面目に生きているとは思えなかったのです。

「真面目過ぎる」といわれる前までは、もっともっと頑張らなきゃいけないのに頑張れていないと自分を責めていたんです。この辺は結構ポイントだと思うのですが、多くの心の病を持っていたり、自ら命を絶ってしまう人は、「自分が真面目過ぎることに気が付いていないのではないか」と思います。

確かに結果が出せなければ頑張ったといえないという方もいるでしょう。人と比較をして、「良い評価が得られなければ、生きている価値はない。」「自分は役に立たない人間だから、もっと認めてもらえるように頑張らなきゃいけないんだ。」こんな思考でいると評価されない限り、いつまでたっても、自分を責め続けることになり、苦しい人生を送ることになりますよね。

自己肯定感を身に付ける

心理学真面目過ぎるといわれたときはまったくそう思えなかった私ですが、一回「わたしは真面目過ぎるんだ」ということを受け入れてみることにしたんです。そして「私は価値がなくてもいい、役立たずでいい、ダメ人間で良い、でも幸せになっていい」と自分を許したんです。

「今まで頑張ってきたよね」と人から言われたい言葉を自分に言い聞かせるようにし、自分のいいと思えることを100個ノートに書いてみたりしました。

なかなかすぐには自分を肯定するのは難しかったんですけど、ダメダメせ良いなら、今まで身なりや体形にまで気を使い、言葉遣いにまで気を使っていたことをすべて1回やめてみようと思いました。何なら極端に真逆をしてみようと思ったんです。

金髪にしたり、家でごろごろゲームしてみたり、お菓子や牛丼を食べてみたり、タメ口で話してみたり・・・。

すると意外と金髪が好評だったり、タメ口でもお客さんに指名されるようになったり、食事制限してないのに痩せたり、年収1000万円の彼氏ができたり、自分では思ってもみない現状へとどんどん変わっていったんですね。

周りはみんな敵だと思っていたのに、禁じていたことをあえてやってみたことで、受け入れてくれる人がいるんだという喜びが生まれた瞬間でした。

適当さも心と人生を豊かにする

心理学適当というのは悪い意味ではなくいい塩梅といいますか、適量といいますか・・・。うまくいっている方は詰めるとこは詰め、抜くところは抜いています。

心に余裕ができると、行動にも余裕が生まれます。自分を犠牲になることを美徳とする考えもあるかもしれませんが、苦しそうな人からわざわざ人は助けてもらおうとも思いません。

何ならあなたが幸せそうに生きていてくれることが、周りの人にとっては幸せなんです。周りが否定的なことを言ってきたとしても、自分を責める必要はないんですね。あなたがダメなのではなく、誹謗中傷してくる人の心も苦しんでいて、たまたまあなたにぶつけてしまっただけなので、あなたがダメなのではないのです。

何かができないことで自分を責める必要も全くありません。あなたが幸せであれば、あなたからは幸せな波動が出ます。すると自然と周りの人も同じ波長となって、周りも幸せな感覚を感じることができるのです。

どうか自分を責めることなく、自分の幸せを今一度考えてみてください。

戦うことにフォーカスしない

心理学

もし誹謗中傷やマウントをしてくる人がいたとき、戦おうとする人もいるかもしれませんね。しかし、戦ってしまうとあなたの時間が搾取されるだけです。

一番のやり返し方は、あなたが今以上に幸せになることだけです。あなたの心を守れるのはあなたしかいません。あなたが自分のことを責めていたら、あなたがかわいそうです。

いいことがなくても、うまくいかなくても、失敗しても、あなたは自分を責めないでください。どうせ人は最期の時を迎えます。だったら今この瞬間自分自身や、自分の時間を全力で大切にしてみてください。

すると不思議なベールに包まれているかのように、誰もあなたに攻撃してくる人はいなくなるでしょう。自分を大切にしている人のことを誰も攻撃ができないのです。もし攻撃してくる人がいたとしても、あなたにはあなた自身がついていますから大丈夫です。

あなたは幸せになるために生まれてきました。幸せになってはいけない人はいないのです。

まとめ

心理学今回はとてもセンシティブな内容でしたので、非常に書きずらかったのですが、共有することで、何か救われる人もいるのかなと思い書くことにしました。あなたのつらい経験は、同じように苦しんでる方の心を癒すことができます。

どんなに周りに責められようとも、あなた自身は自分のことを責めないであげてください。そして自分自身を誰よりも愛してあげてください。

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